「少し」と「ちょっと」という口癖

ぼくのとくちょう
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ヨッシーです。

前の土曜日、参加しているiGENEのコミュニティで思いがけない、指摘に遭遇しました。

「ヨッシーって、 ”少し” と ”ちょっと” っていう、口癖多いよね」

はじめはその言葉をうまく呑み込めなかった。

自分では気づいてなかったけど、おそらく図星というのが直感的にわかり、恥ずかしさ焦りが同時に訪れ、息苦しさを感じました。

そして、しばらくしてから呑み込めて、こっぱずかしいながらも受け入れたんだと思います。

ここ最近の「少し」と「ちょっと」を振り返ると・・・・・

  • ”少し”疲れた
  • ”ちょっと”休みたい
  • ”ちょっと”嫌
  • ”少し”大変
  • ”ちょっと”帰ってもいいですか?
  • ”ちょっとだけ”飯食ってきていいですか?
  • ”少し”欲しい
  • ”ちょっと”行きたい。

”少し”も、”ちょっと”もないことにめちゃくちゃつけてる!!

何なんだこれは!?

日本語もおかしい。

少しやちょっとをつけているときの本音は真逆

”ちょっと”帰りたいんですが・・・・という時は、
めちゃくちゃどーしよーもなく帰りたいとき。

”少し”嫌な時は、もうどうしよーもなく嫌で嫌でしょうがない時。

何でこんなに”少し”とか”ちょっと”とかを無意識に付けてしまうんだろう??

僕の奥深くにある何かがそうさせているのか?

遠慮から来ているんじゃないか。

本当は100%の言葉で伝えたいんだけど、これをそのまま伝えたら相手に嫌われるかもしれない、傷つくかもしれない、怒られるかもしれないみたいに思ってしまっているのかもしれない。

きっとそうだ。嫌われたくないから気を使っているんだ。

本当の気持ちを100だとすると、”少し”とか”ちょっと”とかをつける時ってその気持ちを1/10くらいに激減させたいときにあえて使っているような気がしている。

だいぶ低く見積もって言いたいとき。僕の中の何かがそうさせているのかもしれない。

どう思われたいんだ?

どう思われるのが嫌なんだ?

劇的他人軸発言じゃんか。

素の自分が出せないでいる時、出したくない時。僕の中の何かが抑制しているとき。

素の自分を出して嫌われたことがあるのか?

ちょっと考えてみるけど、すぐには思い当たらない。

うーん。思い出したい。確かにあるはず・・・。

少しとかちょっとの背景にあるのは、
遠慮、ごまかし、隠し、うそ
他人にではなく、自分の本音に対してだと思う。

困難な会話を避けてきた。

いつもごまかしてきた。

争いになりそうなことは意見を言わず、自分が被ってきた。

丸く収めてきた。それでいいと思ってきた。
自分が何とか処理すればいいと思ってきた。

でもここにきて苦しさを感じている。

生きづらさを感じている。

それに向き合う時が来たのかもしれない。

もうハンドルは渡したくない。
自分で握りたい。自分で運転したい。


たとえ渡したとしてももぎ取られるようにではなく、自分から差し出し、横で運転を見る感じで、冷静な自分をあいのりさせたい。

今はまだ、この思いや無意識な口癖に至った経験とかは思い出せないけれど、この口癖が出る時は他人軸になっていて、イマココの自分を生きていない状態なのではないかということが僕の意識に初めて上がった。

「意識に挙げれたものは変えれる。
僕のコーチングの師匠に教わった。

数十年かけて身に付いた無意識の口癖だからすんなり解決するとはお思っていないけど、昨日からこの感覚と共に人生を歩み始めた。

少し変わった口癖だが、共に生きて、僕自身のなかの因果を探究していこうと思う。

そういえば、「少し」とか「ちょっと」という人結構いる。
カラーバス効果かな。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
読んでくれた方が、少しでも前向きになれることを願ってます。

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